桂 宗助【抜け雀】

にほんブログ村 演劇・ダンスブログ 落語へ
にほんブログ村

桂 宗助【抜け雀】
【桂 宗助(かつら そうすけ)】1964年1月4日 – )は、兵庫県尼崎市出身の落語家。本名は谷本 隆(たにもと たかし)。出囃子は『月の巻』。

中学卒業後板前修業を積んだのち、1988年10月に3代目桂米朝に入門。最後の直弟子。高座名は「二番煎じ」の登場人物「宗助」から。翌1989年2月の京都東山安井金比羅会館での「桂米朝落語研究会」にて初舞台。昭和63年の同期入門の落語家で1993年から開いている「はやかぶの会」メンバー。(ウィキペディアより)

【あらすじ】
小田原宿に現れた若い男。
色白で肥えているが、
風体はというと、黒羽二重は日に焼けて赤羽二重。
紋付も紋の白いところが真っ黒。
袖を引いたのが、夫婦二人だけの小さな旅籠の主人。
男は悠然と
「泊まってやる。内金に百両も預けておこうか」
と、大きなことを言う。
案内すると、
男は、
おれは朝昼晩一升ずつのむ
と、宣言。
その通り、七日の間、
一日中大酒を食らって寝ているだけ。
こうなるとそろそろ、
かみさんが文句を言いだした。
危ないから、ここらで内金を入れてほしいと催促してこい
と、気弱な亭主の尻をたたく。
ところが男
「金はない」
「だってあなた、百両預けようと言った」
と泣きつくと
「そうしたらいい気持ちだろうと」
男の商売は絵師。
「抵当(かた)に絵を描いてやろうか」
と言いだし、新しい衝立に目を止めて
「あれに描いてやろう」
それは、江戸の経師屋の職人が抵当に置いていったもの。
亭主をアゴで使って墨をすらせ、
一気に描き上げた。
「どうだ」
「へえ、何です?」
「おまえの眉の下にピカピカッと光っているのは何だ?」
「目です」
「見えないならくり抜いて銀紙でも張っとけ。
雀が五羽描いてある。一羽一両だ」
これは抵当に置くだけで、
帰りに寄って金を払うまで売ってはならない
と言い置き、男は出発。
とんだ客を泊めたと夫婦でぼやいていると、
二階で雀の鳴き声がする。
はて変だとヒョイと見ると、
例の衝立(ついたて)が真っ白。
どこからか雀が現れ、
何と絵の中に飛び込んだ。
これが宿場中の評判を呼び、
見物人がひっきりなし。
ある日、
六十すぎの品のいい老人が泊まり、
絵を見ると
「描いたのは二十五、六の小太りの男であろう。
この雀はな、死ぬぞ」
亭主が驚いてわけを聞くと、
止まり木が描いていないから、自然に疲れて落ちる
という。
書き足してやろう
と硯を持ってこさせ、さっと描いた。
「あれは、何です?」
「おまえの眉の下にピカピカッと光っているのは何だ?」
「目です」
「見えないならくり抜いて、銀紙でも張っとけ。これは鳥かごだ」
なるほど、雀が飛んでくると、
鳥かごに入り、止まり木にとまった。
老人、
「世話になったな」
と行ってしまう。
それからますます絵の評判が高くなり、
とうとう藩主・大久保加賀守まで現れて感嘆し、
この絵を二千両で買うとの仰せ。
亭主は腰を抜かしたが、
律儀に、絵師が帰ってくるまで待ってくれ
と売らない。
それからしばらくして、
仙台平の袴に黒羽二重という立派な身なりの侍が
「あー、許せ。一晩やっかいになるぞ」
見ると、あの時の絵師だから、
亭主は慌てて下にも置かずにごちそう攻め。
老人が鳥かごを描いていった次第を話すと、
絵師は二階に上がり、
屏風の前にひれ伏すと
「いつもながらご壮健で。
不幸の段、お許しください」
聞いてみると、
あの老人は絵師の父親。
「へええっ、ご城主さんも、
雀を描いたのも名人だが、
鳥かごを描いたのも名人だと言ってましたが、
親子二代で名人てえなあ、めでたい」
「何が、めでたい。あー、おれは親不孝をした」
「どうして?」
「衝立を見ろ。親をかごかきにした」(千字寄席より)



コメントを残す

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)